花組公演『アルカンシェル~パリに架かる虹~』では、ナチスの表現等で賛否が分かれた。
しかし酷い戦争の描き方といえば星組公演『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』である。
上記の通り誰も詳しくない内容に「今起こっている戦争=ロシアによるウクライナへの軍事侵攻」を重ねさせる目的が見え透いていた。
最悪なのは、別の国として逃げることで支援にもならなかったことだ。
今この時に傷つき苦しんでいる人々を、物語のエッセンスとして利用した。
『ディミトリ』が今現在の戦争をエンタメ化してしまった時点で、宝塚のモラル低下は露呈していた。その酷さと比べればナチスは一般的に描き尽くされていて、説明不要ではある。深め過ぎても話が取っ散らかるため、浅くなるのも理解出来る。
ただ不運は重なった。
そもそもトップスターの退団公演というのは基本、内輪ネタだらけの卒業アルバム演目である。今までの作品や宝塚にとってどんな存在かを描くのが優先され、ストーリーとしての緻密さや歴史改変などは大目に見る風潮がある。
しかし小池修一郎作品では、誰もが知っているレベルの超有名原作が用意される。
真風涼帆がジェームズ・ボンドを演じながら、退団公演らしさをふんだんに取り入れた宙組公演『カジノ・ロワイヤル ~我が名はボンド~』がまさしくそれだ。
007という作品自体、懐の深さがあったのだろう。星組時代も含め、今までのあらゆる演目が思い出される作品であった。
一方でヘアアイロン事件の文春砲直後でもあり、天彩峰里を擁護するシーンや台詞も入れていた。内輪ネタの危うさを痛感したと思われる。
その点から『アルカンシェル』と見比べると、ちゃんと変われないまま萎縮だけしている。はっきり言えばビビってるなと感じた。
小池修一郎の描く柚香光と言えばやはり『ポーの一族』アラン・トワイライトだろう。
しかし主演の明日海りお退団公演かつ華優希お披露目でもあった『A Fairy Tale -青い薔薇の精-』で、「エドガーがアランもメリーベルもバンパネラにしない」みたいな話はやっている。
ファンがもっと受け入れていたら違ったかもしれないが、また似たようなことをやろうと思わないぐらいには賛否両論であった。
『エリザベート-愛と死の輪舞-』ルドルフは『うたかたの恋』もやっている上に、『オーシャンズ11』と同様宙組公演でふんだんに使われた。そもそも再演の出演者だと、元ネタには弱いのもある。やはり初演であることは重要だ。
後輩演出家のネタが思いっきり使えないのは重鎮としての難しさか、文春砲の的にされてやりにくいのか。ともかくもっとお祭り演目に出来る状況であれば、帆純まひろを中心とした他退団者の餞シーンをガッツリ入れ込むとかあったかもしれない。
また舞台作品の内輪ネタが弱まったことで、制作内部的な要素を入れた。しかし現状の宝塚が散々批判されている面がそのまま、好意的描かれた。過重労働を認め変えていくと表明している今、完全に悪手である。
前述の通り小池修一郎が担当する演目は、誰もが知っている知名度最高峰の原作や元ネタが入る。つまりゼロから生み出す、完全オリジナルはずっと書いてない。
そのせいか製作者としての心情が良く言えばプロ、悪く言えば業務的過ぎて感動しにくかった。
近年新人演出家のデビュー作では、やはり芸術家やクリエイターの話が多い。
自分の内面をさらけ出し作品として形にする、情熱と苦悩。
己の全てを費やした作品を世に出す、高揚感と不安。
ヒリヒリするほどの「アツさ」は、どうしたってデビュー時の新人演出家に敵わないのだ。
全体的にセンシティブな内容に触れてはいたが、批判されるほど不味くはなかった。
しかし宝塚や小池修一郎「特有の魅力」がいまいち出し切れなかったため、問題点がより目立ってしまった印象はある。
宝塚の頂点といえる演出家が力を発揮出来なくなるほど、文春砲は堪えたともいえる。あの記事をリークした人々が観ていれば、溜飲を下げたのだろうか。