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戦争の商業利用~なぜひまわりでなくディミトリなのか~

なお何故ウクライナではなくジョージアなのかという話であって、『ひまわり』をやって欲しい訳ではない。

 

 

星組公演『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』について、生田大和先生は「ジョージア舞踏をさせるために原作を探した」らしい。

しかし時期的に逆算し他の演出家の話と照らし合わせても、「ジョージア」に焦点を当てるきっかけになった要因は、ロシアのウクライナ侵攻なのが明らかである。

 

 

実際、当初日本国内では有力な情報の当てが少ないため、ジョージアや駐日大使への注目が集まっていた。ジョージア舞踏の指導を担当した方が宝塚のオファーを信じられなかったというのも納得なほど、何の脈絡もなく目につくところではない。まして大劇場作品で、無名といっていい原作を「舞台によって」売り出すのは、明らかに時世からの注目を当てにしている。

 

 

SNSに熱心なジョージア駐日大使が、宝塚を利用し自国をアピールするのは当然である。

ただ、聖地巡礼等といって旅行をアピールするのは問題ではないのか。場所や情勢を考えて欲しい。

筆者自身、周囲に心配される状態だった国に渡航した経験もあるため、いけば日常の光景が並んでいることは分かる。

しかし、普通なら今行こうとはしない。大切な家族や友人であれば、数年は止めた方が良いと言うであろう。

また万が一何かに巻き込まれたら、世間は宝塚歌劇団星組、トップスター礼真琴に責任を求める。

 

 

新型コロナウィルスの感染拡大以降、責任を押し付けられやすくなってしまった演劇界である。

もう少し気を張って、配慮するべきだ。

 

 

これは宝塚の「社会派ではなくエンターテイメント」というポリシーのせいもあるかと思われる。

しかし社会派要素を匂わせつつ、危うくなったら浅いエンタメとして済むラインというのは、最も危険な悪手ではないのか。

 

 

大っぴらに「ウクライナを支援する」であれば、リスク0ではないにせよ批判はされにくい。攻撃の的になることがあっても、応援も付きやすいであろう。

その代表が映画『ひまわり』である。上映、放送、円盤の売れ行き等は、支援の一環としても大きなブームとなった。

 

 

また去年末に来日したウクライナ国立バレエは、覚悟の会見を開き、ウクライナ文化省の要請を受けロシア人作曲家による作品は控えた。

それでも情勢により来日が叶わず、キャストが変更される事態にもなっていた。

 

 

宝塚がこれほどの覚悟を持てるはずも、持つ必要も無いのかもしれない。しかし逃げた結果、ウクライナ支援への大義も覚悟も、それに伴う社会的な応援も得ないまま「ロシアの軍事侵攻非難に片足突っ込む」だけを軽々しく行ってしまっている。

戦争を商業利用すること自体への賛否も、もちろんある。しかしそれ以前に「明らかに利用しながらも責任からは逃れたい」というのは、あまりに醜悪なやり方である。

 

 

ベルサイユのばらを観てフランスに行く感覚で、ジョージアや周辺国、纏わる場所に行ってしまうファンが出るかもしれない。

そこで何らかの事態に巻き込まれても、自己責任とは言い切れない。

誰もがSNSで発信するのが当たり前の時代、もし宝塚がきっかけだと明確になれば、メディアや世論は当然責任を求めるであろう。

何も考えなくていい程のエンタメ性を売りにしている以上、宝塚歌劇団側が影響力を自覚し、考えて配慮すべき問題だ。