実際、当初日本国内では有力な情報の当てが少ないため、 ジョージアや駐日大使への注目が集まっていた。 ジョージア舞踏の指導を担当した方が宝塚のオファーを信じられな かったというのも納得なほど、 何の脈絡もなく目につくところではない。まして大劇場作品で、 無名といっていい原作を「舞台によって」売り出すのは、 明らかに時世からの注目を当てにしている。
筆者自身、周囲に心配される状態だった国に渡航した経験もあるため、いけば日常の光景が並んでいることは分かる。
新型コロナウィルスの感染拡大以降、責任を押し付けられやすくなってしまった演劇界である。
もう少し気を張って、配慮するべきとも思う。
これは宝塚の「社会派ではなくエンターテイメント」 というポリシーのせいもあるかと思われる。
しかし社会派要素を匂わせつつ、 危うくなったら浅いエンタメとして済むラインというのは、 最も危険な悪手ではないのか。
その代表が映画『ひまわり』である。上映、放送、 円盤の売れ行き等は、支援の一環としても大きなブームとなった。
それでも情勢により来日が叶わず、 キャストが変更される事態にもなっていた。
宝塚がこれほどの覚悟を持てるはずも、 持つ必要も無いのかもしれない。しかし逃げた結果、ウクライナ支援への 大義も覚悟も、それに伴う社会的な応援も得ないまま「ロシアの軍事侵攻非難に片足突っ込む」だけを軽々しく行ってしまっている。
戦争を商業利用すること自体への賛否も、もちろんある。しかしそれ以前に「明らかに利用しながらも責任からは逃れたい」というのは、あまりに醜悪なやり方である。
そこで何らかの事態に巻き込まれても、自己責任とは言い切れない。
誰もがSNSで発信するのが当たり前の時代、もし宝塚がきっかけだと明確になれば、メディアや世論は当然責任を求めるであろう。
何も考えなくていい程のエンタメ性を売りにしている以上、 宝塚歌劇団側が影響力を自覚し、考えて配慮すべき問題である。