兄妹で人種が違うエドガーとメリーベルになりそうな『ポーの一族』雪組再演。
シーラでも姉といわれるので血縁が疑われる場面はなく、異人では話が変わってしまう。
『波うららかに、めおと日和』に続き設定を根幹からぶち壊し、話の腰を折る作品クラッシャー。音彩唯が厄介なのか、普通に『舞姫』や『マッサン』にしない雪組の問題か。
「底辺人種のアジア人が最上位人種である白人の役をやるのだから~白人アメリカ人様が何をしても批判できない~」という白人至上主義、奴隷根性が日本国内でさえも丸出しとは。
102期の転落死遺族がいたのも雪組。出演予定だった『ベルサイユのばら』で音彩唯は故人を悪女として揶揄するようなジャンヌを演じた。
またメリーベルの話を追加すると、若者の自殺が入る。『ロミオとジュリエット』のように自殺がクライマックスではないが、センシティブにはなる。
宙組ばかり炎上するが、102期(遺族の同期)や103期(故人の同期)は不謹慎な言動が多い。
110周年が潰された恨み辛み、宝塚GRAPHにて天彩峰里のヘアアイロン記事が問題になったせいもあるのだろうが。
転落死事件を軽視する故人や遺族への揶揄は、102期や103期が率先している。
102期と103期、そして雪組。遺族が戦いにくい相手は、故人と遺族を揶揄し軽視するパワハラ、いじめの道具になっているのだ。
しかし何より気になったのは、文春による「宝塚のジャニー」を象徴する作品を再演することである。
大前提として『ポーの一族』は小池修一郎、そして宝塚を代表する超名作。
小池修一郎や宝塚歌劇団への文春砲が、世界に伝わっているとは思えない。国内でなぁなぁにすることで、塞き止めている状態だ。
海外作品と違い日本の人気作をやることは、原作者も理解した上で心から認めたと安心出来る作品ではある。
ー方で耽美系少年ジャンルとして、BLファンを魅了し続ける作品でもある。初演でも外部でもエドガーとアランのポスターなのは、その辺りの需要も分かってのことだろう。
だからこそ文春では「少年系好みで男性にセクハラする宝塚のジャニー」と記事にした。
小池修一郎がパワハラ気質であることは、星組公演『1789 -バスティーユの恋人たち-』で大量の公演中止や時問変更、トップスター礼真琴が公演中断させるまでの事態に陥ったことからも疑いはない。
劇団は原田諒とも和解しており、男性同士でのセクハラが事実でも退団に至らないのも理解できる。
しかしあの記事は「ポーの一族作家」というイメージに合わせてもいた。
確かに少年系主人公の作品を成功させてきた演出家だが、集客力のある(若手だとバックが強い)生徒を偏重する=権力志向の結果に思う。
その意味では起用のメリットが低そうな集客力でも、贔屓してきた凪七瑠海こそが好みといえる。
集客力のわりに大切にされてきたスターは、たいてい凪七瑠海顔だ。
丸くて小さい顔で、のっぺりと平たくパーツの主張が弱い。顔の印象が弱いのでスタイルが際立つものの、身長のわりに頭身が高く少年系とは言い難い。
「小池修一郎のお気に入り」で首席入団した凪七瑠海の存在からか、文春砲があっても89期は小池修一郎と密にタッグを組み続けている。
反面、95期辺りからは距離が出てきた。リスクを承知で関わるほどでもないと、地位が揺らいでいるのか。なんとしても払拭し、イメージ改善を図りたいのは分かる。
文春は作品を傷つけたともいえるため、原作者もこのままではいられないだろう。
しかし単純に『ポーの一族』の世界に圧倒させて黙らせる、というのは乱暴である。
「素晴らしい舞台のためにハラスメントは仕方ない」という理屈が通らなくなったから、問題視されているのだ。
102期や103期がパワハラや事件について、遺族を黙らせようと率先して前に出る。倫理的にはともかく効果的という意味では理解できる。
しかし『ポーの一族』の素晴らしさを文春砲に対抗する道具にしても、疑惑を掘り返されるだけだ。