連続ドラマ『セクシー田中さん』の原作者で漫画家の芦原妃名子さんが急死した問題について、日本テレビと小学館がそれぞれ調査結果報告書を公開した。
SNSでは日本テレビの傲慢さや原作への無理解、もっといえば感覚のアップデートが根本的に出来ていない等が指摘されている。
両方の報告書を読むと特に日本テレビは、原作者の信念を軽んじ「作品に真摯に向き合って欲しい」という要望をクレームやパワハラのように受け取ったのが滲み出ている。
もちろん以前からその傾向があったことは、多くの原作者が発信している。
しかし原作者が「制作サイドから何を言われても信用できない」という思いを抱いた「原作サイドに対し、まだ撮影前であったにもかかわらず、当該シーンは既に撮影済みである、と事実と異なる説明を行ってしまった」件は2023 年 10 月に起こった。
つまり宝塚歌劇団宙組娘役の転落死があり、週刊文春を中心に各種メディアが立て続けにパワハラとして報道していた頃である。
それまで一般社会に公表されるようなハラスメントは、業務に必要が無い、私利私欲を満たすためのものであった。
そのためセクハラやアルハラがまず浸透し、暴行や差別用語とセットでパワハラとされていた印象が強い。
しかしタカラジェンヌの自殺が騒がれたことで、必要性の有無は精査されず「大変な目に合わせたらパワハラ」という極論が蔓延していた。
実際に「故人本人が付けるアクセサリーをより良くするよう指導する」という相手のための行動もパワハラとなった。
また受け手である星風まどかがパワハラとしていないにも関わらず、トップスター真風涼帆の指導もパワハラとして扱われた。
演出家含め舞台へのストイックな姿勢をも、一律にパワハラとして批判するだけの記事が多数掲載された。そしてそれは報道番組等でも肯定されていた。
芸術家が作品へ持つ情熱や信念は、常人には理解しがたいほど凄まじいことも多い。しかしその点の考慮はほぼ無かったのだ。
日本中がこれほどまでに芸術に生きる人間の精神を軽視し、叩いていた頃だ。メディアの中心にいるテレビスタッフが影響を受けてないはずはない。
だからこそ特に日本テレビの報告書には「よく堂々と書けるな」という内容が目立つ。
気になったのは、脚本家側の被害者意識の強さ。そして「傷ついたなら何をやってもいい」という姿勢、そしてそれを受け入れている日本テレビである。
脚本家が原作者のドラマ化に対する姿勢を聞いたところ「難しい人」(こだわりが強い人)と伝えられ「難しい人(こだわりが強い人)かー」と言ったとのこと。
しかし脚本家が「話はあったかもしれないが、明確な説明はなかった」と意味不明な言い訳をしている。
原作者の指摘は「脚本家にとっては厳しい口調であってそのまま読むのはつらくなった」とし、仲介に人数を入れたとされた。信頼関係も築き損ねたのだろう。
今回の脚本家は50代だ。原作者より年上のベテランである。
「そのまま読むのは辛い」から読まないなんて、一般社会では許されない立場だ。
そもそも既に原作改変で散々炎上してきた脚本家である。それでも熱心にSNS活動できる神経を持ち、自分に都合の良い話を掲載してフォロワーに原作者を攻撃させた。その結果、死に追いやったといえる。
その言い訳が「当時は何をどこにどう訴えても届かないことに疲弊し、精神的にも限界だった」である。
SNS 投稿を取り下げてもらいたいとの思いから連絡してきた相手に対し「今は会って話しをするのはちょっと辛い」とも返している。
何故こんな言い分が通用したのか分からない。
この「辛い」からやるべき業務も免除されていい、「辛い」からSNSで相手を攻撃してもいい、というスタンスが気になるのだ。
繰り返すが、50代ベテランの言い訳とは思えない。
宝塚の転落死事件前後に起こった出来事と、とても似ている。結果は逆だが。
表に出すのがご法度である劇団の内部と制作の裏側を、特定の個人を攻撃する目的で公表した。背中から撃つような裏切り行為も「傷ついたから」で許されると考えるのは、ただのモラル低下である。
週刊誌とSNSというのも、自分が使える最も拡散力のあるツールという意味では共通する。
エンタメを生業とする人間が、芸術家のこだわりや作品への思いを面倒事として扱ったこと。それを堂々と公表するなんて、以前は考えられなかった。
宝塚始まって以来の大バッシングは、日本中のメディアが参加していた。意識的にも無意識的にも、影響を受けていたと考えるのは自然だろう。
そして今まさに同じような状況の所は、まだまだいくらでもあるはずだ。