アメリカ人の父を持ち白人にみえる音彩唯の純日本人役は、男性の宝塚歌劇団入りに繋がる。
優位な人種が劣位の人種として演じ、 受け入れさせるのは文化の盗用。暴力だ。
弱者側に強者を受け入れることを強いるのは、新たな差別なのだ。白人至上主義という古からの強固な人種差別を、更に塗り固めているだけに過ぎない。
その行きつく先は「男性を入れろ」。
日米ハーフの音彩唯が半分は日本人だというなら、男性でも半分はX染色体だ。
世界的に見れば落ち着きを取り戻しつつあるトランス問題だが、日本は周回遅れかつ男尊女卑傾向のせいか女子大学での受け入れが活発化しだした。
音彩唯の雪組トップ娘役決定、そしてお披露目の『波うららかに、めおと日和』によって、今後宝塚も巻き添えを食うリスクが増すだろう。
多様性という名目が厄介で、 いわゆる男子部をつくるのではなく女性の中に割って入る。なんなら身長180cmの筋骨隆々な娘役を「受け入れさせる」のが目的になってしまう。
近年ルッキズムや、エイジズムが問題視されるようになった。宝塚音楽学校も応募資格から容姿端麗の表記がなくなり、年齢の引き上げも求められてきている。
しかし現ルッキズムやエイジズムは白人と男性が決め、アジア人含めた有色人種や女性に押し付けていたもの。今求められているのは、白人と男性が決めていた価値観からの脱却だ。
白人の日本人役や生物学的男性のタカラジェンヌは、身体的にも社会的にも強者側が弱者の場所を奪う侵略。
それなのに本来弱者を救うための多様性を持ちだし、人数が少ないという理由でマイノリティぶる。
これこそが強者の持つ醜悪さだが、弱者は弱者だからこそ迎合してしまう。
また白人を中心にアジア人ヘの揶揄に使われてきた、人種差別的な 「Slanted eye(つり上がった細い目)」がつり目ジェスチャー問題などで注目されている。
ミス・フィンランドは称号を剥奪され、議員の投稿についてはフィンランド首相が謝罪声明を出す事態までになった。
音彩唯も不必要な場面でつり目メイクをしている。これまでも目の大きいタカラジェンヌは、日本物で目を開き過ぎないようにと言われることはあったらしい。 周囲から浮かず日本人にみえるように、つり目メイクや目を細める手段が定着していたのかもしれないが。
アジア人差別が日本国内で行われているとなれば、 世界的な炎上に繋がる恐れがある。
特にトップ娘役はポスターなどで目を伏せ、 細く見せた写真を使われることも多い。ニカっと笑いすぎても、 目を細めることになってしまう。
個人が責任を負うには重過ぎる感はあるものの、 アメリカ人の父親を売りにしてきた音彩唯だ。
センシティブにならなければならない。
2025年に入ってからは 111周年も成功した。
5年もの悲惨な地獄が嘘のように、宝塚歌劇団の復活を感じてはいる。
それでも宙組は公演中止などまだ懸念が残り、今や圧倒的な人気を誇る朝美絢の雪組頼りだ。
この勢いを邪魔しないよう、徹底的な炎上回避に務めて欲しい。